再就職したら新人研修あるのかな?内容やカリキュラムって?昔は登壇していたな!
こんにちは、kenji@irohanixです。
最近はハローワークに行って再就職先を探しているのですが、前職の会社ではよく新人研修を登壇して話していたなぁと思っていたところです。
今回はそのころの研修について、何を教わったのか?そしてどんな事を話したのか?
などなど、ホントにごく少数のピンポイントの人しか、多分わからない内容の記事になると思います。なぜかと言うと、前職が警備会社だったからです。
どうして? 何か特殊なの?
そうです!特殊も特殊で、いったいどこから話せばいいのか( ゚Д゚)
というのも、日本では昭和37年に初めて警備会社が出来たのです。その当時は電話帳にも載ってないような職業ですからね(笑)
えっ? そうなんですか? もっと歴史があると思いました!
現在は令和元年ですが、昭和でいうと94年です。
なので歴史といっても今では57年しか経ってないのです。
創業何百年なんて歴史ある老舗などとは比べものにならないほどに浅い歴史なんです。
そんな話を新人研修で何度も何度も話をしていましたね。
また、社会人の心構えみたいなことも話していましたが詳細は下記で解説しています。
警備会社の新人研修で話した内容と時間割のカリキュラム
まず始めに入社した当日には、警備ってどんなお仕事?何が必要なのかな?って事などの疑問を解消するために、警備業の歴史についてお話をしてきました。
だいたい一日6~8時間のカリキュラムを組んで話をします。
内容は警備業の歴史や警備業法や刑法、憲法、刑事訴訟法、遺失物法、銃刀法やら軽犯罪法、救急法などなど、4日間~5日間にかけて行っていましたね。
まずは警備業の歴史から言うと、昭和37年に警備会社が東京都の神田のオフィスビルの屋上に、しかも、ただのプレハブ小屋を使って警備会社を始めたんですね。
酒屋の次男坊が毎晩飲み歩いていて、思い付きで始めたんだって❕
開業当初は電話帳にも載っていないような職業だったので、いろいろな所に営業に回ったり、飛び込み営業なども行っていました。
夜中に泥棒に入られないように、我が社で夜間の巡回警備をやりますよ!警備員さんが見回りに来てくれますから安心です(‘◇’)ゞ
という具合に営業していたのですが、
まずは稼げそうな土俵を見つけていたので、そこに集中して何度も足を運んだそうです。その場所はというと大田区の工場地帯だったんですね!
儲かる仕組みはというと、
例えば
工場Aから1万円の契約 ⇒ ⇒ 警備員A(日当7000円)の担当
隣の工場Bから1万円の契約 ⇒ ⇒ 警備員B(日当7000円) の担当
裏にある工場Cから1万円の契約 ⇒ ⇒ 警備員C(日当7000円) の担当
といった具合に、それぞれで警備員を雇って派遣するとなると人件費を差し引いた粗利が3000円×3か所で9000円になると思います!
しかし、この3か所の工場に行く警備員をAさんのみ、一人だけで済むようにした場合には売上3万円に対して人件費が7000円なので儲けは23000円になるんですね!
すごく、うまい話やなぁ~!(^^)!
って事で、かなりの利幅が見込めると思い開業へと踏み切っていたのです。
ただし! 世の中、そんなに甘くはないですよね(‘Д’)
だって、警備の契約をお願いして回っていたけれど、
その当時は『水と安全はタダ』って言う時代だったんですからね。
『水』は山や川に行けば、まだ汚染されていない綺麗な『水』が豊富にありましたよね、『安全』と言えば・・・、あなたも昔を思い出してみてください。 よく実家やおばあちゃん家などでは、玄関を開けっぱなしにしていたり、窓もカギをかけなかったりという感じだったでしょう!
だから泥棒が家の中に入るなんて事が想像できなかった時代なんですね!
なので、年間にしてもたったの4件や5件しか受注出来なかったのです。
それじゃぁ、警備会社も続かなくて、倒産しちゃうんじゃないの?
そうですね!
ホントに倒産しそうな勢いだった時に、この状況を打破する救いの電話がこの警備会社にかかってきたんですね!
それは・・・
日本で最初の一大イベントで警備をした事!
警備会社を開業してから2年後の昭和39年です。あなたは日本でどんな一大イベントがあったかわかりますか?
そうです! 2020年にもありますが、オリンピックが開催されたんですね!
その当時、警察官もたくさんいましたが警察官は要人警護だったり、会場警備だったりという事もあり、この時もそうですが警察官の人手不足があったんですね。
それを補うために、最近出来たばかりの組織として、警備会社に目を付けたのが『東京オリンピック招致委員会』でした。
警備会社宛てに『東京オリンピック招致委員会』から電話が行きました。
警察官の人数では警備が回らないので、
ぜひ、周辺の警備を受けて欲しい!
こんなお誘いがくるなんて(=゚ω゚)ノ
警備依頼の内容としては、おもにオリンピックに参加する選手たちが寝泊まりする、俗に言う『選手村』での夜間巡回などの警備をしてほしいとの依頼でした。
ただ、その警備会社では従業員も5~6人しかいなかったのです。
そんな大きなオリンピックの警備となると人を何百人と募集して雇わなきゃいけないし、オリンピック自体は1~2か月で終了してしまうので、その後の従業員を解雇するというのも気が引ける・・・
いったいどうしたら良いのか??
悩みに悩んだ挙句、一か八かやってみよう❕❕という事になりました。
しかし、オリンピックという日本で初めてのイベントでの警備なので、
『オリンピックが近くで観れると思って』応募してくる人や
『有名人に会えると思って』応募してくる者などもたくさんいたそうです。
ただ、やるからには全力で警備にあたる為に、採用者一人ひとりに新人研修を行って成功させようとしました。
その甲斐もあって、オリンピックの警備も大成功に終わりました。
そこで、この当時なんですが、『クーラー、カー、カラーテレビ』という昭和の時代の三種の神器に変わる3Cと言われている中のテレビですね、これがこの頃から(白黒テレビからカラーテレビ)へと変わっていったんですね。
そこで、テレビを見ている人が『制服を着た警察官に似たような人が警備している』という事で、そこで初めてカラーテレビに警備員として映り込むことによって、全国各地に警備員という存在や警備員という職業が認知されていった流れになります。
それからは、『イケイケ!ドンドン!』といった感じで、うなぎ上りで急成長を遂げていきました。また、テレビ局では【ザ、ガードマン】という(宇津井健さん主演)のテレビドラマまで、放送されるようになったのです。これでほぼ、全国各地に周知されたような感じになりました。
そこから、さらなる飛躍として今度は昭和45年に世界の一大イベントが日本で開催されました。
オリンピック以外に何かあるの?
それがあるんですね、今度はアジア初かつ日本で最初の国際博覧会 として『大阪万博』が全日程183日間にわたって開催されたんですね。
また、警察のお仕事の手伝いやったんかい??
いやいや、今回は『大阪万博』のメイン会場から何から警備会社が仕切って、警備を行ったんですね。 それは複数の警備会社から成る協会警備隊 が発足されたんです。
そこでも警備員が活躍を遂げて、一躍有名になっていったのですね。
ここまでの話が警備員や警備会社の歴史としての大活躍したエピソードになっております。
しかし、良い事だらけの警備会社や警備員という事でもありません・・・
昭和37年の開業以降にもいろいろと不当・不祥事案がありました。
それは・・・
このまた次回(近日中)にお話しさせていただきます(=^・・^=)
ご一読、有難うございました。
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