親孝行!したい時に親はなし!になる前に❕

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親の介護

親孝行!したい時に親はなし!になる前に❕

こんにちは、kenji@irohanixです。

あなたは最近親孝行してますか??

なかなか自分の住んでる近くに親がいると親孝行するのもまだまだ後でいいかなって思ったりしていませんか?

何かあればすぐに行けるし、電話で話したりもしているから大丈夫だべ(‘◇’)ってなっていませんか?

気づいた時には、親が寝たきりになっていたり、声が出なくなってしまったりという事があるかもしれない。

そうなる前にもう一度、出来る時に、出来る限り、親孝行してみませんか?

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親孝行!したい時に親はなし!になる前に❕

現在、私の父親が『パーキンソン病』に『骨髄腫』にといろいろと患っていて、医師からはもう先は長くないと言われております。

現在の病院も転院を4回もして、たどり着いた病院です。

この病院では人生の最後まで看取ることが出来る『ターミナルケア』をしています。

ターミナルとは「終末期」を意味します。

人生の終末期、病気の終末期が来たとき、延命するか、残された時間を充実させるかどうするか?
ターミナルケアはデリケートな決断から始まります。

何かあったら病院から電話が来るようにはなっておりますが、父親の希望で延命措置をせずに自然にしてくれとの事でした。

だから、病院に入院しているけど、息を引き取る時には手術や薬などは一切使わずに看取ることにしています。

それを知ったのはつい最近の事でした。

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あなたが働きすぎ!いつまでも元気と思うな!

私は大学を中退して19歳から東京都の練馬区に上京し、住み込みのレジャー産業にて働きに出ていました。

その頃は初めて一人立ちしたような気持ちで自分で稼いで生活してと言った感じで頑張っていましたね。

それに住み込みで働いていたので、あまりお金を使う事もなく、毎月10万円を親に仕送りしていました。

ただその仕送りも1年は続かずに終わってしまい、実家からの疎遠が進んでいきました。というのも東京に住んでいて実家が神奈川だったからです。

パパ
パパ

電車ですぐに帰れるし、まあ~いつでも帰れるじゃん(‘ω’)ノ

そうですね、遠からず・近からずといった感じだったので、ホントに1年間でまったく帰っていませんでした。1年で2回~3回くらい帰っていたかな?という感じです。

それにお盆や正月などはレジャー産業だったので休みが取れずにいましたし、上司や同僚などと近くの池袋に遊びに行くことを覚えてしまったんですねw

だから働いて稼いで、遊ぶことを覚えているので、なかなか実家には足を運ぶことがありませんでした。

そんな中、何年も月日が流れて20代後半には店長を任されるようになりましたし、新規オープン店舗の立ち上げなどもしてきました。

もちろん朝早くからずっとお店にいて、夜も遅く日付が変わるころまで仕事をしていました!

それに、休みの日は家でゴロゴロしながら休息して、他の日は一日中お店にいて仕事をしていたといった感じです。

この頃はミイラ取りがミイラになってましたね(笑)

たまに実家から電話が来たりしても軽く聞き流して済ませていました。(この時には実家が3回くらい引っ越ししていたらしいです!いずれも市内で(-_-)

30歳を過ぎてくるとやはり仕事一筋に拍車がかかってしまい、余計に実家には帰ることをしませんでした。

そんな時に、私のおばあちゃんが亡くなってしまったのです。小さいころにとても可愛がってもらって、いつもコタツでセブンスターを『スパ~っスパ~っ』って吸っていたのを覚えています。

このあたりから父親の身体に異変が起き始めたのです。

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遠距離になって!そして発病!

私は仕事柄で東北に異動になってしまい、実家どころか関東にさえ遠い状況になりました。

実家では母と妹が少しづつ身体の変化を訴えていた『父親の介護だったり』『看病だったり』をしていました。

そしてついに、父親の手の震えなどから北里大学病院にて検査をすることになりました。

そこで発覚したのが『パーキンソン病』でした、現在でも『不治の病』として有名ですね。国の難病指定患者になってしまったのです。

だからと言って東北から関東に帰ることも出来ず、すっかり母親と妹に看病してもらっていました。

また、検査を繰り返しているうちに今度は『骨髄腫』が見つかり、父親は薬漬けの毎日になってしまったのです。

そうこうしているうちに私自身の生活の変化もあり、結婚から出産と家族が増えていきました。そして第二子の出産を機に子育てに専念する為、東北での仕事を辞めて、関東に帰る決心をしたのです。

まあこのままでは一生家族に尽くすことが出来ないし、ホントに社畜だなと感じて、思い切って退職をしました。

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気付いた時にはもう・・・現状は!

関東に戻ってきてハローワークに通いながら、失業保険を受給して生活していましたが、空いている時間には、実家に帰って父親の状況をみることにしました。

パパ
パパ

しかし、『時すでに遅し』ですね・・・

私が実家に帰った時にはもう寝たきりの状態で言葉も上手に話すことが出来ないほどに衰弱していました。

また、こう言った『高齢者の死亡原因の第一位が肺炎』になってしまう事だそうです。

聞いたことがありますか? 『誤嚥性肺炎』ってやつだそうです。

特にパーキンソン病を患っていることもあるかもしれませんが、口の周りの筋肉が衰えすぎていて、『ツバ』を飲み込むことさえも出来ない状態になりました。

かなり危険な状態らしいのですが、自分の唾が食道に入らずに、知らず知らずのうちに気道から肺に唾が入ってしまうんですね。

そして少しづつ『誤嚥性肺炎』が進行していき、気づいた時には『もう遅かった』って事になるそうです。

父親が望む『延命措置』をしないので、ホントに今は『いつどうなってもおかしくない状態』で過ごしております。

もっと早く、親父に孝行していればとつくづく感じているところです。

あなたももう一度考えてみてください。

親孝行!したい時に親はなし!って事にならないように、出来る限り寄り添うようにしていただければ幸いです。

ご一読、有難うございました。

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